2008年 07月 19日 ( 1 )

思考の展開という概念運用のための「行為」の概念

宮台真司氏が「連載第一三回:「行為」とは何か?」で提出する「行為」については、すでに一回説明されたものである。その時は、外に現れる客観的観察の対象としての「行動」に対して、意味的な要素をもつものとして「行為」が定義された。つまり、「行動」としては同じだと見なされても、その意味が違う場合があり、「行為」としては違うという判断がなされるときがあるというわけだ。

「行為」の同一性の判断には意味の判断が伴うので、「行動」の同一性の判断よりも難しくなる。「行動」というのは、外に現れた形で同一性が判断できるので、客観的な測定可能なデータで同一性の判断ができるだろう。時間や位置情報を測定してデータとし、それが同じであれば「行動」としては同じだと判断することが出来る。ある意味では、そこにこめられた「意味」を捨象して、意味に関係のないデータで判断するのが「行動」だともいえる。「行為」と「行動」は、それぞれの概念が互いに否定あるいは補完の関係にあって概念が確定される。ソシュールの指摘にかなうような性質を持っている。

この「行為」の概念は抽象的ではあるがイメージはしやすい。意味が理解できれば、「行動」は同じだが「行為」としては違うということも想像できる。宮台氏は、「馬鹿だな、お前は」というような言葉を言うことが、その意味の違いによって「愛情表現という行為」になったり「軽蔑の行為」になったりすることを指摘していた。これが「行動」としては同じだが、「行為」としては違うというイメージだろうか。もちろん、意味が同じだと見なされたときに「行為」も同じだという判断がされる。

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by ksyuumei | 2008-07-19 13:27 | 宮台真司