2008年 07月 09日 ( 2 )

「構造」という概念

宮台真司氏が「連載第六回 構造とは何か」で説明している「構造」という概念について考えてみよう。まずはこれの辞書的な意味から生まれてくるイメージを考え、その概念を考えてみよう。そして、宮台氏が説明する概念が、それとどのような面で重なるか、どのような面で違うかということを考えてみたい。

「構造」という言葉は、辞書的には「仕組み」と言い換えられることがある。これはその対象の部分的な要素がどのように組み合わされているかということを見たときに、その組み合わせ方を「仕組み」と呼ぶことがある。部分と部分を実体的に見るのではなく、その関係を捉える見方になる。「構造」は対象の全体に渡るものだが、それは部分の間の関係として我々には直接見えるものとなる。

また「構造」には、それが容易には崩れないというイメージがある。あるいは、容易に崩れるようなことがあっては困るものに対して「構造」を考えることが多いといえるだろうか。建物の構造などは、それが簡単に崩れてつぶれてしまうようならたいへん困ることになる。それこそ地震などが起こってもそれに耐えるくらいに強い「構造」が求められるといえるだろう。

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by ksyuumei | 2008-07-09 10:08 | 宮台真司

社会システム理解のための「意味」「行為」「コミュニケーション」という概念

宮台真司氏は「連載第五回 社会システムとは何か」では「社会システム」というものを説明している。これは、宮台氏が考察しようとしているシステム一般を表す「定常システム」に対して、それが社会の中に見つかるという意味での特殊性を持っている対象として考えられている。社会の中、すなわち人間が関わって構成されるシステムは、人間存在とは独立に存在する物質的で機械的な「定常システム」とはその性質を異にする。

人間と独立に存在するシステムは、意志の問題が介在しないので、外から観察することによってシステムの働きを記述することが出来る。宮台氏は、対流の現象や排水のときに出来る渦巻きの現象をその例としてあげている。水を熱すると、その熱い部分と冷たい部分との作用で「対流」が起こり、それは熱している限り存在しつづけるという「定常システム」になっている。このシステムは、外からその熱量や温度を観察することによって、何が起こっているかを記述することが出来る。システムであるから、それが安定的に繰り返されるループになることも記述することが出来る。排水の現象に関してもそうである。

しかし、これが社会に存在するシステムの記述になると、外から観察するだけでは、そのシステムを完全に記述することが出来ない。自然現象と違って、人間が行うことは、それが物理的に記述できる「行動」として観察されて、行動面では同じように見えても違うものと判断されることがあるからである。そこにはある種の意味が読み取れるために、行動としては些細な違いだ(末梢的だ)と思われるのに、意味として大きく違ってくるという判断がされて、同一ではないと判断される。このように意味を伴う行動を宮台氏は「行為」とも呼んでいた。

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by ksyuumei | 2008-07-09 01:00 | 宮台真司