2008年 07月 03日 ( 1 )

新しい概念の獲得は思考の展開にどのような影響を与えるか

ソシュール的な発想で考えれば、言語は、混沌として区別のはっきりしない現実に対して、言語で表現することによって概念の差異をはっきりさせ、現実にある構造を持ち込んでそれを理解しようとする。言語の発生と同時に、現実の対象を概念的に捉えることも可能になり、それが思考の対象ともなると考えているようだ。

それを言語で捉える前は、それが存在していたとしても、その言語を持たない人間にはそれが見えていない。devilfish という言葉を持たない人間には、devilfish という存在は見えていない。従ってそれを考察の対象にすることも出来ない。思考の展開には言語が必要だというのは、野矢茂樹さんが語るウィトゲンシュタインの発想でもあった。三浦つとむさんは、かつてヘーゲルを説明した文章で、思考の展開というものを概念の操作で説明していたように記憶している。概念を操作するとしたら、そのラベルとしてつけられている言語を操作することにもなり、ウィトゲンシュタインが語る「論理形式」に従った操作のようなものになるのではないだろうか。違う側面から思考というものに切り込んださまざまな発想が、最終的には似たところに落ち着くというのは、それが真理である可能性が高いのではないかと思う。

概念の獲得は、思考の展開に影響を与え、豊富な概念を理解している人間は、現実を広く深く捉えて思考することが出来るようになるだろう。そして概念が言語を通じて理解されるとしたら、語彙を豊かに持っている人間ほど思考も豊かになるといえるのではないかと思う。この語彙というものは、現在生きている我々は、言語の意味も言語を通じて教育される。その概念の理解は、現実の経験を通じてやられた方がより深い理解が出来るようになるだろうが、言語なしに経験を反省して言語を作り出すというやり方ではなく、まず言語としてのある言葉の提出があって、その言葉の意味を理解するために経験に助けを求めるという順番になる。

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by ksyuumei | 2008-07-03 09:58 | 雑文