2008年 06月 30日 ( 1 )

もし、言語化する以前の概念が存在するとして、果たしてそれの差異を認識できるか?

言語化する以前の概念というのは想像することがたいへん難しい。どのような概念を思い浮かべても、その概念を示す言葉が頭に浮かんできてしまうからだ。何か分からないがぼんやりと頭に浮かぶようなもの、というものが想像できない。言語のあふれる世界の中で生まれて育った僕には、言語のない世界などは想像を絶するものだ。なぜなら、想像の対象でさえ、それは言語によって思考しているからこそ想像できるのだと言えるかもしれないからだ。概念は、言語化するからこそその差異を認識できるのであって、言語化する前のラベルのない概念は、混沌として差異を認識できないのではないだろうかという思いが消えない。したがって、概念をまず捉えて、その後に言語で名付けるという過程はありそうもないような気がしている。我々は対象を言語で名付けることによってその概念も同時に獲得しているというソシュールの考えが正しいような気がしている。

その想像が困難な「何か」としての名付けられない概念は、どうしたら想像可能になるだろうか。それは、名付けられるまではどこまでも「何か」としか表現できない概念だ。この「何か」は、名付けられる以前に、果たして僕の認識の中に「あらかじめ与えられた概念」として存在することが可能かどうか。それは名付けることが出来ず、「何か」としてしか表現は出来ないが、「何か」だという認識を持っていたら、「あらかじめ与えられた概念だ」ということが出来るだろうか。

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by ksyuumei | 2008-06-30 09:24 | 言語