2008年 05月 21日 ( 1 )

前提の違いが結論に与える影響

自民党の河野太郎衆議院議員のブログに「大本営発表と提灯持ち」という興味深い一文を見つけた。これが論理的な観点から面白いと思うのは、河野さんが反論している厚労省の言い分というのが、形式論理的には必ずしも間違っているとは言えないのだが、年金の議論の全体の中でその主張を位置付けてみると、河野さんが言うように「省利省欲をごり押ししてきた」と判断するのが妥当のように思えてくるからだ。

それだけを個別に取り上げれば、論理的には必ずしも間違っていないのに、年金議論の全体の中で、年金の運営をいかに整合的に行うかという観点から見ると、それは国民一般の利益になるのではなく、厚労省の利益をもたらすような利権を生み出すことに寄与する議論になっている。国民の利益にはならないような主張が展開されている。

ある種の主張をもたらす論理をたどってみると、その前提としている「事実」の解釈が一つに決まらないため、どれを前提としての「事実」と設定するかで、結論としての主張が変わってくる。そのような主張の場合は、たとえ正反対の結論が得られて、双方がそれを主張していても、どちらかに決定するというのが難しい場合がある。現在の段階ではどちらも認めて、それぞれに一理があると言わざるを得ないときもある。内田樹さんが主張していた、現在中国政府の政策を批判している人たちが、「「中国人は日本人と同じ考え方をしない。けしからん」ということを繰り返し言っているにすぎない」という判断は、それに反対する見解も、今の段階ではともに両立する主張になるのではないかと思う。なぜなら前提とする「事実」を確定することが難しいからだ。おそらく反対の主張は、前提とする「事実」に違いがあるのだろうと思う。これが確定したときに、どちらの主張が正しいかが決定するのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2008-05-21 09:57 | 論理