2008年 05月 11日 ( 1 )

ウィトゲンシュタインによるラッセルのパラドックスの解決

ウィトゲンシュタインの基本的発想は、野矢茂樹さんに寄れば、ウィトゲンシュタインの関数概念ではラッセルのパラドックスが生まれるような自己言及文は言語の意味として無意味になってしまうということだ。それは論理形式からは排除されるので、論理的な言い方ではないということになる。このことを解釈すれば、ラッセルのパラドックスは、言語の機能としての論理を、その適用範囲の限界を越えて適用したために、不都合が生じたという感じになるだろうか。ラッセルのパラドックスは、言語適用の間違いによって引き起こされた無意味な命題に意味を与えてしまったということになるのではないかと思う。

基本的な発想はこのようなものだと思われるが、フレーゲ・ラッセル的な記号論理に親しんできたものとしては、この発想を納得するのはなかなか難しい。都合が悪いから排除したというような、ご都合主義的な解決に見えてしまうからだ。ラッセルのパラドックスは、言語の意味としてちゃんと理解できる。だからこれが論理形式としては無意味になるということが納得できなければ、ウィトゲンシュタインの解決もすんなりと腑に落ちるというわけに行かなくなる。

ウィトゲンシュタインの発想は、あくまでも現実の「世界」を出発点にしているところがフレーゲ・ラッセル的な発想と違うところだ。フレーゲ・ラッセル的な発想は、現実から抽象された論理世界を出発点にしている。それは現実世界の存在物である対象が抽象された、世界の部品からスタートして、それを組み合わせて論理的な表現である命題が構成される。

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by ksyuumei | 2008-05-11 10:48 | 論理