2008年 05月 08日 ( 1 )

フレーゲ・ラッセルとウィトゲンシュタインの関数概念の違い

フレーゲの発想は、野矢さんによれば、述語を関数で表現することによって論理の記号化に成功したというものだ。述語は日本語で言えば、動詞あるいは形容詞で表現されるか、名詞に判断の助動詞を伴った形でなされる。たとえば次のように。

1 地球は「自転している」。
2 海は「青い」。
3 小泉さんは「元総理だった」。

上の文章の「自転している」「青い」「元総理だった」は、それぞれ肯定判断を表しており、判断を示す述語として機能している。三浦つとむさんは、動詞や形容詞に対して、そこに直接判断を示す品詞がないので、日本語の場合は動詞あるいは形容詞そのものに肯定判断の表現が含まれると考えていた。いずれにしても、判断を伴う表現であり、述語として捉えることが出来るだろう。

この述語の記述に対して、フレーゲはその判断が及ぶ対象を変項として捉えてxなどで表す。上の3つはそれぞれ次のようになるだろうか。

1 xは「自転している」。
2 xは「青い」。
3 xは「元総理だった」。

このxには、基本的には現実の対象である何らかの存在物が入る。つまり定義域は現実世界ということになる。そして、1のxに「地球」という対象が入れば、1の命題は正しくなり、真偽値は「真」ということになる。この関数は、現実世界を定義域として、命題の真偽値を値域とするものになる。

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by ksyuumei | 2008-05-08 09:55 | 論理