2008年 04月 28日 ( 1 )

パラドックス的な現象の理解

世の中には、「こうなっているはずだ」あるいは「こうなっていて欲しい」というようなことがいくつかある。しかし現実にはその期待はしばしば裏切られ、「なぜこうなっているんだろう」というような理不尽な思いを抱いた人は多いのではないかと思う。自分が抱いていることが常に「通説」とは限らないが、期待を抱いている事柄というのは、ある意味では世間もそう考えているだろうということで期待できる部分があるので「通説」に近いのではないかと考えてもいいだろう。その「通説」に反した現実が訪れてみると、そこには深刻なパラドックスがあることが感じられるのではないかと思う。

昨日ケーブルテレビで、昨年話題になった映画の「それでもボクはやっていない」というものを見た。これは痴漢冤罪を描いて裁判制度のおかしなところを描いた映画だ。裁判制度のパラドックスを提出していると言ってもいいのではないかと思う。

主人公は再三、「自分は痴漢をしていないことは事実なのだから、いつかはそれが分かってもらえるだろう」というよう思いを独白している。しかしその期待は最後までかなわない。事実と違うことが認定されて、やってもいないことで裁かれてしまう。これ以上の理不尽はないだろう。このパラドックスに実際に遭遇したら、それを受け入れるのにどれだけ苦労するだろうかと思う。論理的なパラドックスなら、論理を理解することによって、感情抜きに客観的に理解できる。しかし、この種のパラドックスは、深刻に自分の人生とかかわりを持ってくるので、感情を外に置いておいて理解することが難しいのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2008-04-28 09:57 | 社会