2008年 04月 14日 ( 1 )

空気を読むこととそれに支配されること

今週配信されたマル激では、ドキュメンタリー映画「靖国」の上映中止問題を中心にして言論の自由の問題が議論されていた。ある種の表現に対して、それに感情的に反発する人の圧力で、その表現が封じ込められるというのはまさに「言論の自由」に抵触する問題になるだろう。

その表現を批判するのは、これもまた言論の自由の一つに違いない。しかしそれはあくまでもまともな批判であるべきで、表現そのものを封じ込めるようなやりかたであってはいけない。映画「靖国」については、その内容のどこが批判されるべきかという内容が議論されるよりも前に、上映する映画館のほうが、映画館自体や観客にある種の損害が生じるのではないかということを危惧して上映を中止している。内容的に批判が妥当だったから上映中止になったというのではなく、暴力的な圧力によって恐怖を感じたことによって上映中止になっている。そこが結果的に言論の弾圧になっていると指摘されるところではないか。

マル激のゲストの森達也さんも鈴木邦男さんも、圧力をかけた右翼勢力の側の人のほとんどがこの映画をまったく見ていないということを語っていた。つまり内容的な批判が出来る状況ではなかったということだ。その映画に感情的に反発したのは、週刊新潮が書いた記事に「反日映画」という表現があったからだと受け取っていたようだ。

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by ksyuumei | 2008-04-14 09:33 | 社会