2008年 03月 16日 ( 1 )

論理トレーニング 24 (論証の構造と評価)

例題2では「導出」の正当性についての評価がトレーニングとして取り上げられている。「導出」というのは、どのような場合に「正しい」と判断されるのかということだ。これは、論理的に結論が導かれるということの評価になるのだが、論理的に結論が導かれるというのは、それは否定しようのない結論であるということになる。論理的に正しい「導出」なら、もしその結論を否定するならば、そこからは矛盾が生じるということが見られる。

結論を否定して矛盾が生じるようなら、その結論は正しい。つまり、その結論を導く「導出」は正しいということになる。しかし、結論を否定しても、もし矛盾が生じなかったらどうなるだろうか。そのときは、結論を導く「導出」は必ずしも正しくはないのだと言わざるを得ないだろう。あえて結論を否定してみて、その論理構造から矛盾が生じるかどうかを見るという方法で、「導出」の正当性を測るという方法がここから生まれる。これが今回のトレーニングになる。あえて反論を構成するというトレーニングだ。

このトレーニングに関して野矢さんは次のような指摘をしている。


「なぜこのようなやり方を練習するのかについて、もう一言述べておこう。これは、いわば、導出の関連性を評価するための基礎訓練である。根拠が提示され、そこから結論が導かれる。多くの場合、われわれはそこで立ち止まって吟味せずに、単に聞き流す、あるいは読み流してしまうだろう。だが、あえて立ち止まってみる。ここでもっとも要求されるのが、「論理」という言葉にそぐわないと思われるかもしれないが、想像力である。
 この根拠を受け入れ、しかもこの結論を拒否することがどういうことであり得るのか、その可能性を思い描く想像力、これがここで求められる。こうして、その論証が導く道筋とは異なる道の可能性を捉えつつ、その上でその論証の進む道を自分も進むかどうかを決断する。この、想像力を活性化させるためのトレーニングが、「あえて反論する」という方法に他ならない。すなわち、単に拒否するためにのみ反論するのではなく、受け入れるか拒否するかを決断するために、まず、あえて反論してみるのである。」


この指摘は非常に重要なものだと思う。この種の想像力は、トレーニングする以外に自然に身につくとは思われないからだ。感情的な反発を感じて、拒否したい気分が生じるような主張に対しては、否定することは容易いし想像するのも簡単だ。しかし、受け入れたいと思いたくなるような主張に対して、あえて否定してみるという想像力はきわめて甘くなり難しくなる。これを厳しく徹底して論理的に考察するのがこのトレーニングの目的ではないかと思う。そのような厳しさを経て受け入れることを決断した主張こそが,本当に正しい「導出」だと評価できるものになるだろう。

More
[PR]
by ksyuumei | 2008-03-16 22:51 | 論理