2008年 01月 31日 ( 1 )

国語的文章読解と論理的文章読解

野矢茂樹さんの『論理トレーニング』(産業図書)という本で改めて論理について考えている。野矢さんは、この本の冒頭で「「論理」とは、言葉が相互に持っている関連性に他ならない」と述べている。論理とは、極めて言葉に深いかかわりのあるものなのだ。だから、論理を学ぶということは言葉を学ぶということでもある。

しかし日本の学校教育では、論理の一端を数学で学ぶものの、文章を学ぶ国語においては論理というものはほとんど顔を出さない。国語において学ぶのは、ほとんどがその文章の味わいを感じる鑑賞の側面に限られている。題材としても文学的作品(文章による芸術作品)が圧倒的に多い。たまに説明文が題材にされることがあっても、その説明文がどのような論理構成で説得力をもっているかということは話題にされることがない。

僕は論理に強い関心を持っていて、言語学などにも惹かれるものを感じていたが、高校までの国語で学習した内容はほとんど関心がなく、むしろ嫌いだった。その文章読解は、ほとんど感性の範囲でなされており、なぜそのように読まなければならないのかという解釈に合理性を感じていなかったからだ。ほとんど感性でそのように感じなければならないという押し付けを感じ、自分の感覚で自由に読むということを邪魔されている感じだった。自分は何故に模範解答と違う読み方をするかということが気になっていた。それは自分の感性を否定的に受け止めなければならないことなのかと不満に思っていたものだった。

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by ksyuumei | 2008-01-31 09:51 | 論理