2007年 12月 08日 ( 1 )

思考と言語の関係

ウィトゲンシュタインは、思考の限界を確定するために、言語の有意味性の限界を確定しようとした。言語表現において、それに有意味性を与えるという行為が、人間が思考をしているということを示していると捉えていたのではないかと思う。このあたりは、言語表現の基礎には人間の思考があり、ひいては認識がなければならないという三浦つとむさんの言語過程説にも近いものを感じる。

だが、ウィトゲンシュタインが語るのは、言語の基礎にある認識一般ではなく、あくまでも思考の展開と関係のある認識だけだ。現実化していない可能性を表現するという面における言語の機能を思考の展開と結び付けて、可能性を表現することこそが思考の現れであると考える。もし認識一般を取り上げるなら、可能性を扱う像の操作だけではなく、対象を受動的に反映するという像の性質についても言及しなければならないだろう。しかし、ウィトゲンシュタインには言語のその側面での議論はないようだ。

思考の限界と言語の限界を厳密に一致させようとすれば、それが1対1に対応するという構造を示さなければならないだろう。認識と言語の関係を考えると、認識は表現の基礎になっているものだから、それを表現する言語との関係でいえば、認識の領域のほうが言語の表現の領域よりも広いだろう。言語にならない、言語に出来ない認識というものが存在することが予想される。

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by ksyuumei | 2007-12-08 11:12 | 言語