2007年 11月 21日 ( 2 )

応用問題について

算数・数学教育では、「応用問題」というものが課されることがある。これは、基本的な計算技術を学んだ後で、その計算を実際に応用して答えを求めようとするような問題を考えるものだ。計算して答えを出すだけなら、これには深い理解はいらない。アルゴリズムを記憶しておいて、その手順に従って数字を操作すればすむことだ。そこには主体的な思考というものがないので、コンピューターという機械にも出来る事柄になる。

これに対し、応用問題を解くということは、実際の問題に対しその技術を適用することになる。このときも、いくつかの問題のパターンを公式化して、その公式に当てはめて計算をすることにすればある程度のアルゴリズムかが出来る。しかし、計算そのもののアルゴリズムと違い、どの公式が適用できるかという最初の判断においては、単に表面的な現象を見てすぐに決められるとは限らない。計算そのものであれば、そこにある数字を読んで、計算の記号を読むだけで次に何をするかが決まる。だが、応用問題のほうは、その問題が示している現実の構造を把握しないと、公式を適用するにしても、どの公式を当てはめるかという判断が決まらない。

さらに、この応用問題が公式化されていない新しい問題であった場合は、いよいよその構造の把握が大切になってくる。応用問題を解くということは、その問題を、何らかのアルゴリズムが適用できる形に作り変えることだといってもいいかもしれない。我々が直面する問題は、実際には具体的な応用問題であり、一般論を学ぶのはその応用問題に適切な答えを出したいからだといえる。応用問題の現れが顕著である数学の場合を取っ掛かりとして、一般論を現実の問題に応用して解答を得るということについて考えてみたいと思う。

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by ksyuumei | 2007-11-21 10:29 | 論理

「猥褻行為」は存在するか

『社会学の基礎』(有斐閣Sシリーズ)という、大学の教科書として書かれた本の「行為と役割」という章を宮台真司氏が執筆している。ここでは行為の同一性に関して議論を展開しているのだが、二つの行為を比べてそれが同一であるか違うかという判断を3つのレベルにおいて考察している。

その3つのレベルは、<物理的レベル><遂行的レベル><帰責的レベル>として捉えられている。それぞれのレベルは視点の違う見方になるので、<物理的レベル>では同一だが<遂行的レベル>では同一ではないという判断も成り立つ。つまり、弁証法的な意味での肯定と否定が同時に成り立つという矛盾が見られる。これは「行為」というものが単純なものではなく複雑なものであることを意味している。

「行為」というものは、物理的に現れた現象にすべての属性が読み取れるのではなく、そこに人間が意味を与えることによって「行為」として受け取ることが出来る。つまり、物理的には同じように見えても、その意味が違うという受け取り方をすれば「行為」も違うという理解をするわけだ。この意味の問題に関連して「行為」は3つのレベルでの解釈が出来るものだと思われる。

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by ksyuumei | 2007-11-21 10:28 | 雑文