2007年 10月 21日 ( 1 )

『論理哲学論考』が構想したもの8  複合的概念が指し示すものの存在

ウィトゲンシュタインの世界においては、「事実」から切り出されてくる「対象」は単純なものに限られていた。それは、その「対象」の像として設定される「名」という言語表現が、論理空間を作る要素として取り出されるからだ。現実世界から論理空間を作り出すとき、それが一定の手順・アルゴリズムとして確立していなければ、全体像を把握することが出来なくなる。論理空間は、全体像を把握できなければ、その思考の展開の限界を見ることができなくなる。全体像の把握という目的からは、「対象」の単純性は不可欠の要請のように思われる。

ウィトゲンシュタインの世界においては、存在するものは単純なものに限られている。言葉を言い換えれば、単純なものとしての「対象」の存在は、世界の前提として設定されていると言えばいいだろうか。これに対して、複合的概念(論理語によって定義される概念)が指し示すものは、それが存在するように見えても、存在とは判断しないというのがウィトゲンシュタインの考え方なのではないかと思う。

この捉え方は、かなり直感と対立する違和感を感じるものではないかと思うので、直感とうまく調和するような理解のしかたを考えたいと思う。あまり厳密な言い方ではないが、「対象」というのは、現実に直接指し示すことが出来る存在を表現したときに、「名」として登場するという感じがする。それに対し、論理語のように「名」ではないものは、直接指し示すのではなく、状況を解釈したときに認識の判断として表現されるもののように感じる。

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by ksyuumei | 2007-10-21 11:32 | 論理