2007年 10月 20日 ( 1 )

『論理哲学論考』が構想したもの7  対象の単純性について

ウィトゲンシュタインが「対象」の単純性について語っていることを理解するのは案外難しいのではないかと感じる。それは、存在という属性をどう捉えるかということと深く関わってくる。

「対象」というのは、世界を構成する「事実」から切り出されてきた要素として登場する。「事実」としての世界の現れがまずあり、それを捉えた人間が、「事実」を分析してその中から構成要素としての「対象」を取り出す。そして、その「対象」を表現する言語を「名」と呼んだ。この「名」が、現実の「対象」の像として働くことになり、これを言語表現としてつなぎ合わせて命題を作り、それが言語的に意味を持つものであるとき、それを「事態」と呼んで可能性を表すものとした。

「名」の結合によって作り出された「事態」を集めた集合は「論理空間」と呼ばれ、これこそが思考の限界を考察するためのベースとなるものになった。このとき論理語については、否定の「ない」や接続詞の「または」「かつ」「ならば」などは「名」ではないという理解の仕方をした。「名」ではないというのは、それと直接結びつく「対象」という実体がないということを意味する。つまり、実体としてこの言葉を体現するようなものは存在しないと考えている。

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by ksyuumei | 2007-10-20 10:35 | 論理