2007年 10月 13日 ( 1 )

『論理哲学論考』が構想したもの3 「事実」と「事態」(現実性と可能性)

ウィトゲンシュタインは、現実の「事実」というものから出発して、まだ現実化してはいないが、その可能性があるものを見るということを思考の働きとして想定しているように感じる。人間の認識の積極面を思考というものに見ているようだ。そして、思考の限界を考えるということは、我々がどのくらい正しく現実を捉えられるのかということを求めることを意味するだろう。現実を出発点にするというのは、あくまでも現実の世界がどうなっているかに我々の関心があるのだという意識ではないかと思う。

この、現実の世界を出発点にするというのは、一般論としては納得がいくものだ。空想的な出発点を置いても、それが現実に有効かどうかは分からない。現実が出発点だというのは、現実に有効性を持ち、それが現実の我々の指針になるという点で重要なことだ。しかし、一般論としてはよく分かることではあるが、実際に現実を出発点にして思考の展開を探っていくというのは、具体的にどうしたらいいかというのは難しい。

現実には、目の前に見ている事柄が「事実」であるのか、それとも空想的な観念の中だけに存在する「可能性」であるのかを決定するのは難しい。いや、それは「可能性」すらも否定される「非存在」であるかもしれない。

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by ksyuumei | 2007-10-13 10:57 | 論理