2007年 10月 11日 ( 1 )

『論理哲学論考』が構想したもの2 可能性の世界としての論理空間

ウィトゲンシュタインは、現実世界を出発点として、そこから思考の原理を引き出そうとする。この現実世界は、「事実」を集めたものとして想定され、物という「個体」を集めたものとは考えられていない。野矢茂樹さんは、『『論理哲学論考』を読む』という本の中で、「我々はただ物や性質に出会うのではない。性質を持った物たちに、つまり事実に出会っているのであり、そうでしかあり得ない」と書いている。

物や性質を切り離すことが出来るのは、それらを思考の対象にした後であり、原初的な体験としては、物と性質は不可分のものとして・「事実」として目の前に現れる。だからこそ現実世界を出発点にするなら、世界を「事実」として捉えなければならないということになるのだろう。

目の前に現れた現実世界は、我々に見える一側面を「事実」として記述することが出来る。しかし、我々に見えている「事実」だけが世界のすべてになるかというと、事はそう単純ではない。小さすぎるものや大きすぎるものは、我々には「事実」としては感じられない。空気の存在や地球が丸いことなどは視覚で感じることが出来ない。これは直接感じることの出来る「事実」ではない。しかし、今では誰もが空気が存在していることや、地球が丸いことを知っているし信じている。

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by ksyuumei | 2007-10-11 10:39 | 論理