2007年 10月 04日 ( 1 )

ウィトゲンシュタインの論理空間

野矢茂樹さんの『『論理哲学論考』を読む』という本によれば、『論理哲学論考』におけるウィトゲンシュタインの論理空間というのは、意味を持つすべての命題を寄せ集めたものというイメージで読み取れる。ウィトゲンシュタインは、これらの命題を「事態」と呼んでいたようだ。この「事態」は、まだ現実化されていないものもたくさんあり、そのイメージが人間には想像可能だということで「意味がある」とされているように思う。

この、想像可能な「事態」の中で、実際に現実化されているものを「事実」と呼んで、これこそが「世界」であると定義されている。「世界」というのは、現実と対照されて、その主張する事柄が現実に発見されるものだ。つまり、その命題が真理であることが確認される命題が「事実」と呼ばれる。「世界」は、物の集まりではなく、「事実」の集まりであって、それは真なる命題の集まりであるというのが『論理哲学論考』の主張だ。

この「世界」の定義は、思考の限界を定めるためにウィトゲンシュタインが設定したもので、そう考えなければならない強制はない。「世界」を物の集まりだと考える見方もあってもいいだろう。しかし、そのときはウィトゲンシュタインがやったような、思考の限界を言語の限界として考察するということがうまくいかなくなるだろうと思う。定義というのは、そのようなもので、「世界」をあらかじめそのように設定しているからといって、先験主義(アプリオリズム)に陥っているわけではない。これは、考察の目的を達成するための設定であり、仮説としての出発点だと意識されている。

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by ksyuumei | 2007-10-04 10:24 | 論理