2007年 10月 02日 ( 1 )

微分が運動の表現であることについて

微分という数学の計算が運動の表現であることは、ある意味では自明のことだとも思われる。それは、ニュートンが自らの力学の解析に利用するために発明した計算であり、ニュートン力学は、動力学として運動の解析をするものだからだ。だから、その生まれてきた過程を見れば、微分が運動を表現している、それは位置情報の関数を微分することによって速度が得られ、速度を微分すれば加速度が得られるというように、運動を表しているものと受け取ることが出来る。

だが、微分が運動の表現であるということをこの意味で知っているというのは、知識としてそれを把握しているということにしか過ぎないのではないかと僕は感じる。マルクスは、エンゲルスが「数学に通じた人」と呼んでいたが、マルクスが残した数学に関する論文が「数学手稿」(大月書店)として本になっている。これを見ると、微分が運動の表現であるということを、実感として述べようとしていたのではないかと感じるところがある。以下、それを考えてみようと思う。

板倉さんが指摘したように、運動というのは、論理の言葉で記述しようとするとどうしても矛盾したような表現が入ってしまう。ゼノンのパラドックスは、その矛盾した点を鋭く突いたものになっている。この、ゼノンのパラドックスの表現との類似性も微分という計算が持っているのではないかと僕は感じる。

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by ksyuumei | 2007-10-02 09:56 | 論理