2007年 09月 13日 ( 1 )

現実に存在する実体と実体論的段階で対象にしている実体

関さんから「モデル理論としての経済学の法則性」のコメント欄に、たいへん興味深いコメントをもらった。このコメントに答えるには、コメント欄の短い文章では真意が伝わらないのではないかと思い、改めて考えをまとめてみようと思う。

それは三段階論の実体論的段階をどう捉えるかという問題であり、ある命題の真理性と、その命題を真理だと認識する人間の理解の違いを考える問題ではないかと感じている。エンゲルスの言葉だったか、「最初の素朴な見方は真理に近い」というようなものがあったように記憶している。最初の素朴な見方というのは、まさに現象論的段階における法則性の認識に相当するものだと考えられるだろう。

エンゲルスは、摩擦が熱に変わるという現象を取り上げて、この素朴な認識が「運動エネルギーが熱エネルギーに変換される」という真理に近いものとして考えられるということを語っていた。物をこすり合わせるとそれが熱くなるというのは、簡単に経験できるものであり、現象としてはすぐに確認できる。しかし、その法則性は、その経験が裏切られることはなかったという経験からきているもので、もし一度でも裏切られるような経験があれば、すぐに真理性が揺らいでしまうような法則性の認識だ。この段階が「現象論的段階」と呼ばれるものではないかと僕は思っている。

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by ksyuumei | 2007-09-13 10:15 | 論理