2007年 09月 10日 ( 1 )

人間の心に関する法則性

心理学や精神分析は科学ではない、ということは僕もそう思っているのだが、そのように宮台氏なども語っていたように記憶している。宮台氏の言い方では、人間の心というのは、その当人は自分で感じることが出来るが、それを他者が客観的に観察することが出来ないと語っていたように思う。他者にとって他人の心というのは、あくまでも想像の域を出るものではなく、客観的対象として実体化することが出来ない。

行動主義と呼ばれる心理学では、客観的存在ではない心に対して、観察可能な「行動」のほうを記述して、行動の属性としての心を考察するという方向で科学としての心理学を構築しようとしたように見える。これは、心というものを、実体ではなく機能として捉える発想ではないかと思う。心の存在は確かに自分では感じるのだが、それはどこにあるかというのは言うことが出来ない。それは人間の脳の働きだと言ったほうが本当らしい。

しかしこの発想は、実体論が不十分なまま本質論へと向かっているような感じがして、科学の発展としてはどこかに欠陥があるような気もする。心という実体が本当はなかったにしても、そこにフィクショナルに設定した実体として、まずは実体論的段階における論理の展開が十分になされる必要があるのではないかとも感じる。故河合隼雄さんは、カウンセリングの実践を理論化するときに「魂」という実体を設定することを提案していたが、「魂」というのは本当に存在するかどうかはわからないけれど、それがあると思って現象を解釈するとうまく論理が展開できるというものだった。

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by ksyuumei | 2007-09-10 09:43 | 論理