2007年 08月 27日 ( 1 )

社会が持つ秩序を法則性として認識する

宮台真司氏の「連載第一回:「社会」とは何か」という文章の中には、「不透明な全体性としての社会の秩序は、いかにして可能か」という問いかけがある。社会の中のさまざまな出来事が、確率的な偶然性だけに従って起こるなら、その秩序というものは単純なものになるだろう。しかし、実際の社会の出来事は、確率的にはあり得ないと宮台氏が語るような秩序を持っている。確率的にはありえないということは、そこには確率以外の要素による法則性があると考えなければならないだろう。

この法則性は社会科学的なもので、人間の意志に深くかかわっている。人間がそのようにしようという意志を持たなければ、この法則性は成り立たなくなるだろう。自然のままに放っておいても成り立つ法則性は、自然科学的なものであり確率的な要因に帰着される。人間の意志に関わって成立する法則性の認識は、どのような三段階を経て本質論的段階に達するのか。

単に「秩序」という言葉では、その内容が抽象的過ぎるので、法則性そのものの考察までは進まない。もう少し具体的な法則性としては、宮台氏は「政治主導的な思考では「集団成員の全体を拘束する決定を導く政治共同体の秩序は、いかにして可能か」」というふうに語っている。これは言い換えれば、「社会の中では、個人の意志の自由があるにもかかわらず集団的な決定を経たものは個人を拘束する」という法則性を持っているといえるのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2007-08-27 09:51 | 論理