2007年 08月 22日 ( 1 )

社会科学的な法則性と自然科学的な法則性

板倉聖宣さんは「武谷三段階論と脚気の歴史」の中で、武谷三段階論は「法則性」の認識の発展の段階を語ったものだと指摘している。重要なのは、その認識が「法則性」の認識であるということで、科学としての認識と言い換えてもいいだろうと思う。

ところで科学は、自然科学と社会科学という違いを持ったものが存在する。人によっては、科学として認められるのは自然科学だけで、社会科学は科学として認めないという人もいるようだが、一般理論における法則性を語ったものとして、その正しさが確認されているものであれば社会科学と呼んでもいいのではないかと思う。

対象が自然であるか社会であるかということは、その法則性の現れ方に違いが出てくるように思われる。自然科学の対象は、人間の意志とは独立に存在している物質的なものである。それは、人間がこのようであって欲しいと願っても、願いがそのまま実現されるのではなく、つまり主観的に都合よく操作できるのではなく、客観的な法則性というものを見つけることが出来る。

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by ksyuumei | 2007-08-22 13:59 | 論理