2007年 07月 29日 ( 1 )

国家概念抽象の過程 4

萱野稔人さんは『国家とは何か』の中で「国家を思考するためには、今の国民国家のあり方を自明なものとみなすナイーヴな見方から決別することが不可欠だ」と書いている。これはなかなか示唆に富んだ言葉で、ここから多くのことを学ぶことが出来る。

国家を思考するということは、国家というものについて、現実に国家と呼ばれているものの観察の結果を述べることではない。思考というのは論理の展開を伴うものだ。事実を羅列するのではなく、ある事実から論理的に引き出される事柄を考察することが「思考する」と呼ばれる。

だから「思考する」ためには、思考の対象となる国家を抽象することが必要で、それを概念的に捉えなければならない。思考の対象は現実の国家ではないのである。現実の国家を基礎にした抽象としての概念的な国家が思考の対象になる。対象を概念化しなければそれは論理的な操作の対象にならない。単に物質的存在を観察するだけでは、そこには論理的な必然性を見出すことは出来ないのだ。

国家にとって暴力装置が必然的なものであるというのは、現実の国家をいくら観察してもそれを引き出すことは出来ない。現実の国家にはいつでも警察と軍隊が存在していることを観察したとしても、それがたまたまそうなっているのか、必然的に国家に伴うものとして存在しているのかは、観察によっては結論できない。それは、国家が「暴力に関する運動」を行うという概念化によって、その必然性が語られるものなのである。

More
[PR]
by ksyuumei | 2007-07-29 17:29 | 論理