2007年 07月 28日 ( 2 )

格差は悪いことなのか

内田樹さんの「格差社会って何だろう」というエントリーが話題を呼んでいるようだ。はてなのブックマークも300近いものがつけられていた。これが話題を呼んでいるのは、内田樹ともあろうものがなぜあのような駄文を書くのか、という見方をされているからのようだ。

これは面白いことだと思う。もし、あの文章を内田さんが書いたのでなければ、ほとんど注目もされずに黙視されたのではないだろうか。これはひどいと思った人が多かったのだが、その文章を書いたのが内田樹だったというのであれだけのブックマークがつけられたようだ。

この現象を解釈するには二つの方向があると思う。一つは、内田樹はもともとひどいことを書く人であって、たまたま本が売れて気の利いたことを言っているように見えているだけで、実際には多くのベストセラー作家と同じように、通俗的で浅い見方だからこそ本が売れているに過ぎないのだという解釈だ。誰にでも分かるような大衆受けする、宮台氏的な表現を使えば、俗情に媚びるようなことを書いているからベストセラーになるのであって、今回は、たまたまボロが出てひどいことがそのまま出てしまっただけだという解釈だ。

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by ksyuumei | 2007-07-28 15:50 | 内田樹

国家概念抽象の過程 3

萱野稔人さんに寄れば国家とは「暴力に関わる運動」だと概念規定される。国家というのは、何か暴力が関わるような現象があったとき、すなわち国家ではないいずれかの主体が暴力行使をしたときに、その主体を取り締まり処罰する権能を持つ。暴力行為に反応して、それに何らかの対処をするという意味で、国家は「暴力に関わる運動」なのである。

国家は、どこかで暴力行為が行われたときに、その暴力行為と関係なくそれを見過ごしているわけにはいかない。それを許容するにしても、許容することに理由をつけて、自らの権限の中で許容することを示さなければならない。国家は、国家以外のものが自由に暴力を行使することを許さない。国家のみが、暴力を行使することを正当化(=合法化)する権利を持っている。

国家は、国家以外の暴力を許さずそれを取り締まるのだが、その際に使われるのは、取り締まりの対象になる主体よりも強大な暴力だ。暴力を暴力で取り締まるのだが、これは、当然のことながら、取り締まる対象よりも絶対的に強くなければ取り締まることが出来ない。国家は、少なくともその領域内では絶対的に強大な暴力を保持するものとして現象する。

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by ksyuumei | 2007-07-28 14:15 | 論理