2007年 07月 04日 ( 1 )

久間発言の形式論理的考察

久間防衛相が「しようがない」という発言によって辞任をした。このことについては、多くの報道があり、また多くの人がブログなどで言及しているようなのだが、何が問題なのかというのが余り明確になっていないように感じる。原爆被害者の感情を逆なでするような発言だったということは、その後の事実を見れば、事実として確認は出来る。しかし、感情を逆なですること自体が問題だとは言えないだろう。

もし感情を逆なですること自体が問題だと考えるなら、他人を怒らせたものは、怒らせたということで落ち度があることになってしまう。怒った方が勝ちということになってしまう。怒らせたほうに何らかの間違いや逸脱があって、それが原因で怒ったのなら、それは責任を感じなければならないだろう。しかし、怒ったほうが、何らかの勘違いをして怒っているのなら、怒らせたほうに責任はない。怒った方がその間違いを理解することが必要だろう。

差別糾弾主義者の論理では、ある発言が差別であるかどうかは、その発言によって傷つき・差別だと感じる人間がいれば差別だと判断されてしまう。どう感じるかということに基準があるのなら、それは極めて主観的なものだ。客観的に差別の不当性を証明するものがない。このような判断で糾弾するのは間違っていると僕はずっと思っていた。久間防衛相の発言についても、感情の問題だけで非難されているのなら、それは辞任に値するほどのものではないと思う。その発言が、感情の問題にとどまらず、どのような問題があるのかを明確にするために、これを形式論理のメガネで考えてみたいと思う。

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by ksyuumei | 2007-07-04 10:19 | 政治