2007年 06月 25日 ( 1 )

現実存在である人間が無限を捉えることの限界

「2006年03月03日 実無限と可能無限」というエントリーのコメント欄で、武田英夫さんという方が疑問を提出していることに、無限を捉えるときの難しさが現れているような感じがしたので、これを考えてみようと思う。

無限という対象は、数学屋の場合は、これを素朴に前提して理論を展開しているように見えるが、逆に数学とは無関係な人は、無限というものが得体の知れないものであるかのように感じて、これを対象にすること自体に疑問を感じるのではないかとも思える。武田英夫さんの素朴な疑問には、無限の難しさの本質が含まれている部分もあるのではないかと思う。

武田英夫さんが語る疑問は二つに絞ることが出来るだろう。いずれも無限という対象の持つ弁証法性に関係するものだ。つまり、形式論理で取り扱うにはふさわしくない対象だ。それを形式論理で取り扱おうとすれば、そこには静止の論理で無限を表現するという難しさが出てくる。これは、運動の表現において、「止まっていて、かつ止まっていない」という矛盾した表現がどうしても必要だと、板倉さんが指摘したのと同じようなことが起こる。現実存在である人間には、無限は静止した状態として捉えることは出来ず、したがってそれを形式論理で表現することが出来ない。無限も、運動の過程として切り取って表現するしかないのだ。

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by ksyuumei | 2007-06-25 10:08 | 論理