2007年 06月 20日 ( 1 )

無限と連続の弁証法性

数学において無限と連続が本当に意識されて考えられるのは、おそらく微分を学ぶあたりからだと思う。それまでの無限と連続は、それを厳密に正確に把握していなくても、だいたいこんなものだろうというような想像でも数学は破綻することがないのではないかと思う。

微分が持つ視点というのは、物理で言えば極微の世界を考察するものとよく似ているのではないだろうか。それは、今まで目で見た直感の世界では捉えられないような不思議な現象が見つかる。目で見た直感の世界というのは、無限や連続が、想像の範囲内で捉えられていて、無限は「果てがない」というイメージにつながり、連続は「必ず隣が見つかる」というようなイメージにつながっていた。

ユークリッド幾何では直線は無限に延長したものとして定義される。これは、現実にはそのようなものを把握することは人間には出来ない。しかし、現実には、直線が抽象されてきた真っ直ぐの端のある線は、現実の端をいくらでも延長できるという想像をして、「果てがない」という無限をつかむことになる。この理解の仕方は、無限の「果てがない」という現象を具体的につかんだのではないが、形式論理としてはうまい工夫だろうと思う。

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by ksyuumei | 2007-06-20 10:12 | 論理