2007年 06月 14日 ( 1 )

直感の及ばない対象を論理的に把握すること

量子力学について調べていると、極微の世界などの直感の及ばない対象に対して、どのようにして概念を作るかという問題を感じるようになった。直接眼に見ることの出来ない存在を、我々はどのようにして把握しているのだろうか。これは、極微の世界だけではなく、抽象的な概念であるものの多くも、直接見ることが出来ないものであるにもかかわらず、我々は何らかのイメージを基にそれを理解していると考えざるを得ないだろう。

社会というものは、これが社会だという実体を指し示すことが出来ない。板倉さんは、個人の法則と社会の法則とは違うというようなことを語っていた。社会の法則は、多くの場合統計的なもの・確率的なものとして現れる。だから、社会という存在を科学的に捉えようとすれば、それは確率的な把握の仕方をしなければならないのではないかと考えられる。宮台氏の社会学が確率論を基礎にしているというのは、科学としての意味を強く感じるものだ。

萱野さんが語る国家というものも、国土や国民という実体を指して、これが国家だと言えるものではない。国家という実体は見つからない。だから国家は幻想に過ぎないという言い方も出てくるのだろう。しかし、国家を幻想として片付けたからといって、国家に弾圧される人々にとっては、国家は弾圧する暴力をもった機能としてそこに存在していることは確かだ。国家は、合法的に暴力を行使するという機能としてそれを捉えるしかなくなる。

More
[PR]
by ksyuumei | 2007-06-14 10:37 | 方法論