2007年 06月 12日 ( 1 )

形式論理における矛盾と弁証法的発想における矛盾

萱野稔人さんをゲストに招いたマル激で、萱野さんの文章の書き方が非常にジャーナリスティックなものであることが話題になった。まずは事実の指摘があり、そこから判断されることも、誰もがそう認めざるを得ない事柄だけにとどめておき、主観的な意見というものをすべて排除しているという指摘だった。「~<政治>の思考~」というコラムの「第10回 「流動化する労働力」と「新利権の構図」」の中でも、


「たとえば、郵政民営化によって郵政公社は日本郵政株式会社となるが、それにともなって奥谷禮子氏が社長をしている人材派遣会社が職員の研修や派遣業務を受託することになった。奥谷禮子氏といえば、すこし前に「過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います」と発言したことで話題になった人だ。彼女は日本郵政株式会社の社外取締役であり、また厚生労働大臣の諮問機関である労働政策審議会の分科会(労働条件分科会)でも委員をしている。かつては、内閣府に設置されていた総合規制改革会議の委員もしていた。この会議は、小泉首相のもとで公的業務の民間開放をすすめてきた規制改革・民間開放推進会議の前身にあたる。

奥谷禮子氏は人材派遣会社の社長であり、労働力が流動化され、公的業務が派遣労働に取って代わられることで利益をうる人間だ。そうした人間が、政府の労働政策の決定プロセスに直接関与する。労働をめぐるルールの変更にかかわる人間が、その変更によってますますビジネスチャンスを獲得するという利権の構図がここにはある。」


という記述がある。これに対して神保哲生氏は、奥谷禮子氏がこれだけひどいことをしているのに、それをひどいとは一言も書いていないと指摘していた。つまり、主観的な意味での判断を一言も書いていないということだ。直接的な批判を一言も書いていない。判断力のある人が読めば、それがひどいことだというのは事実から読み取れる。しかし、書き手の主観は一言も書かないという文章になっている。

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by ksyuumei | 2007-06-12 10:51 | 論理