2007年 06月 10日 ( 1 )

理論展開における形式論理的理解と現実解釈における弁証法的理解

ある種の理論的命題を理解するというのは、その理論が前提としていることから、論理的な整合性を持った展開を理解するということである。つまり、理解において必要不可欠なのは、そこに語られている論理を読み取ることになる。僕が、数学の学習においてまずは論理の基礎を身につけようと思ったのも、それは理論の理解において大きな威力を発揮すると思ったからだ。

論理だけでは理論を創造することは出来ない。理論の創造には、何を基本的な前提としておくかという、数学で言えば公理の選択に当たることが重要だが、論理というのは、理屈として整合性を持ったものの考え方の形式を教えるものだから、具体的な対象に関する属性はすべて捨象されている。だから、論理で何かの対象の本質を抽出するなどということは出来ない。論理は、対象が持っている具体性をすべて捨象してしまうので、具体的な理論を展開するような本質はすでに捨てられているからだ。

論理は学習においては、すでに打ち立てられた理論を理解するのに大きな威力を発揮する。しかし、理論の創造には、そこで対象として考えられているものに対する広い見方と、深い知識を総動員して本質を発見することが必要だ。これはある種のセンスにかかわるものになるだろう。このときは、形式論理ではなく、弁証法性を見落とさないだけの注意深さが必要だと思われる。

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by ksyuumei | 2007-06-10 13:10 | 論理