2007年 06月 04日 ( 1 )

他者の報告(言語による表現)の真理性はどこで判断するか

最近気になっている問題は、他者の報告の真理性の問題だ。特に、言葉で語られたことに対して、それが正しいことをどうやって確かめるかという問題を考えている。言葉で語られたことは、意図的な嘘である場合もあるし、勘違いをしているときもある。他者の言葉を信じる基準というものをどこに置くかという問題は案外と難しいものだと思う。

他者の表現が論理的なものである場合は、それが論理的に正しいかどうかを判定することは可能だ。複雑な場合はやはり難しさはあるものの、それが判定不可能だということは原理的にはない。問題は、その表現が論理的なものであるかどうかという判断だろう。論理的な表現は、真か偽かがどちらかに決められなければならないので、いくつもの解釈を許すような表現であっては困る。その表現の解釈が明確に一つに定まって、その解釈の論理性を検討できるようなものであれば、論理を判定することは出来る。あるいはいくつかの解釈を許すものであっても、場合分けが出来て、その場合については明確に意味が一つに定まるなら論理的な取扱いが出来る。

問題は事実性を巡る表現の場合だ。ある事柄の報告が事実である、確かにそういうことがあったというものであった場合、それが正しいことをどうやって判断したらいいかということだ。これは原理的には不可能だということを宮台氏が語っていた。

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by ksyuumei | 2007-06-04 10:11 | 方法論