2007年 04月 23日 ( 1 )

教育におけるエリート主義と平等主義

小室直樹氏の戦後民主主義教育への批判の中心にあるのは、その平等主義だった。平等ということは、民主主義においては重要な考えであるには違いないが、それが「主義」になってしまうと、条件を考慮することなく「平等がいい」という前提で考えが進められてしまう。しかし、「人を見て法を説け」ということわざにあるように、教育においてはむしろ「差別化」ということのほうが重要なときもある。「差別化」が正しいときに、「平等主義」を持ち込めば、そこには何らかの欠陥が露呈するのではないかと思う。

平等主義が生まれてくる背景には、「差別はすべて悪い」というような発想もあるのではないだろうか。「差別」というものが最初から否定的に扱われていれば、すべてが平等化される「平等主義」にならざるを得ないのではないかと思う。果たしてそれは正しいのだろうか。もし、「差別化」こそが正しい場合があるという主張が、党派性を持った主張ではなく、客観的に論理的に帰結されるならば、小室氏の指摘と批判も、単に極右の立場からの批判ではなく客観性を持った批判として捉えることが出来るのではないだろうか。

平等主義に対する批判は、小室氏の弟子を自認する宮台真司氏もよく語っていることだ。今週配信されたマル激でも、エリート主義の必要性との関連で平等主義批判を展開していた。宮台氏は、社会をリードしていく存在としてのエリートの必要性を主張している。そのエリートの養成には、誰もが同じことを学ぶという大衆教育では応えきれないというのだ。大衆教育のトップに立つだけでは、自覚のないエリートが生まれてしまうので、社会をリードするエリートとしてふさわしい資質が身につかないという。

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by ksyuumei | 2007-04-23 10:08 | 教育