2007年 02月 25日 ( 1 )

多様な視点

今週配信されている「週刊ミヤダイ」では赤ちゃんポストをめぐる議論を展開している。これも、日本の戸籍制度との関連など興味深い議論を宮台氏は展開していたが、この途中で現れた「教育」というものの社会科学的な定義が僕には印象に残った。

宮台氏は、「教育」を動機付けと人材の配分システムとして捉えている。これは、言い換えれば能力を「判定」し、その結果で進路を「選別」するという機能をもった装置が「教育」だということだ。このことは、以前も語っていたことなので特に目新しいことはないのだが、良心的な人々が語っているような、「教育は子どものために行う」というような概念を、社会科学的には拒否していることについても語っていた。

この定義は、一面的な受け取り方をすると、教育における「差別」や「選別」をそのまま肯定しているようにも聞こえてしまう。しかし、その持っている能力が未知のものである子どもに対して、動機付けをして能力の開発を行い、結果として身についた能力で適材適所の配置をアウトプットする装置として教育を考えるのは、価値判断を抜きにして考えれば合理的な捉え方なのではないかと思う。「差別」や「選別」が不当なものとして現れるのは、装置の判定が正しいものではなく、装置の機能が不十分であることから結果するものではないだろうか。そして、このことが「多様な視点」という事柄とともに語られていることに、宮台氏がなぜこのような定義を与えるかということの理由がわかるような気がした。

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by ksyuumei | 2007-02-25 11:40 | 教育