2007年 01月 21日 ( 2 )

ホワイトカラー・エグゼンプションにおける日本固有の問題

宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは?」ということを語っている。これを聞いて、僕は、ホワイトカラー・エグゼンプションというものの本当の意味をようやく理解することが出来た。

ホワイトカラー・エグゼンプションというものが、今の日本では、残業代を払わなくてすむことを合法化するようなお話にならないものだということは、多くの批判者が語っていることだ。そしてそれは、宮台氏も正しいと語っている。

今の日本企業における残業の実態は、仕事の能力が低いために時間内に収めることが出来なくて残業が発生するというものではない。基本的に仕事量が多すぎて、それなりの能力で労働時間内の努力をしても、その時間内でこなせる量ではないために残業を必要としているものだと考えられる。

ホワイトカラー・エグゼンプションを実現するのなら、まずそのような仕事の実態を改正して、通常の仕事は一定の能力さえあれば労働時間内に終わらせることが出来るというふうにしなければならない。このような基本的な条件があれば、忙しいときには多少残業をしたとしても、その分をひまなときに穴埋めできればいいということになる。これまでの制度では、そのような配分を自分で行うことができず、たぶん上司の配慮で行っていたのだと思うが、ホワイトカラー・エグゼンプションによって自分の裁量で行うことが出来るようにするというのが、名目的には導入の正当性だろうと思う。

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by ksyuumei | 2007-01-21 18:45 | 宮台真司

宮台真司氏の『権力の予期理論』(勁草書房)を読む 2

宮台氏の権力の定義は非常に抽象的なものである。それは、現実の権力のイメージに引きずられると、その正しい概念を持つのに失敗する。数学における定義に近いものを感じる。

数学では自然数といえば、物を数えるときに使われる数のことを指す。自然数という概念を抽象するきっかけとして、現実の具体的な物と、それを数えるという行為から具体性が捨象されて抽象されていったことだろうと思う。自然数をはじめて学ぶ子供たちは、このような歴史的な発展の過程を追うことでゼロから概念を作り出すという経験を基にその概念を獲得していくだろうと思う。

しかし、数学の理論としての自然数の概念は、ペアノの公理系に見られるように、ある種の条件に当てはまるものを自然数と呼ぶようになる。これは、理論においては、現実の具体性に引きずられて偶然的で例外的なものが入り込まないようにするためである。理論というのは、論理的な整合性を持った対象の間に成立する、抽象的な法則性を求めていくものだ。明確に捉えられる対象以外は排除する必要がある。そうでなければ法則性がつかめないからだ。

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by ksyuumei | 2007-01-21 12:39 | 宮台真司