2007年 01月 08日 ( 3 )

理論構築における抽象(=捨象)--何を目的として何が引き出され、何が捨てられるのか

わどさんから「「成熟社会」論の震源地/批評」というトラックバックをもらった。トラックバックをもらった僕のエントリーは「成熟社会にふさわしい教育とは」だ。

ここで書かれているわどさんの感情的な思いというのは理解できる。「近代成熟期にはいると、物が豊かになり、長時間労働をしなくてもすむようになる」という表現に対して、未だに長時間労働に従事していて、しかもその労働に使命感を感じることなく「苦役」という感覚しか持てなかったら、現在が「近代成熟期」であるという判断そのものに異議を唱えたくなるかも知れない。

しかしこのような異議を唱えることは、社会全体を「近代成熟期」と判断しなければいけないイメージ(抽象化)が、自分の周りの生活実態というイメージの壁によって邪魔されることにならないだろうか。両者は抽象化のレベルが違うのだと思う。

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by ksyuumei | 2007-01-08 21:39 | 論理

「ファシズム」概念を抽象する 1

『ファシズム』(アンリ・ミシェル著・文庫クセジュ)という本をヒントに、「ファシズム」の概念が出来ていく過程を考えてみたいと思う。概念というのは、思考を進める出発点になるものだ。たとえば数学などで、「偶数とは2で割り切れる整数のことである」と定義して、偶数の思考を進める場合など、「偶数」という言葉を見たら、この性質を満足する対象なのだと言うことで思考を進めていく。

同じように、「ファシズム」と言うことについて思考を進めようと思ったら、まず「ファシズム」と言うことがどういうことなのかを知らなければならない。これがありふれた、誰もが共通に持っている概念ならば特に説明することなく思考を進めていく。だが、どこかで概念の共通性が崩れそうな部分があれば、そこはどのようなものかというのを事前に説明しておかなければ論理の展開が違うものとして受け取られてしまうだろう。

『日本ファシズム史』(田中惣五郎・著、河出書房新社)という本の冒頭には、「ファシズムとは、資本主義社会が、没落の断崖に立ったとき試みる独裁の一つの形態である」と定義されている。これは、抽象の過程を省いて、抽象の結果としての定義を語ったものだ。この定義に対して異論があるかも知れないが、この本で展開する「ファシズム」の概念は、この定義に書かれているものとして考えるのだ、と言うことをここでは宣言している。

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by ksyuumei | 2007-01-08 15:09 | 雑文

「ファシズム」について考える--特に抽象の過程について

「ファシズム」の概念やイメージについては専門家でさえも一致したものがないそうだ。これは現実を対象にした考察ではしばしばそういうことが起こるのではないだろうか。現実からある概念を抽象するとき、その対象をどういう視点から見るかで抽象の過程が違ってくる。この違いは概念の形成やイメージの全体像に反映してくるだろう。

「言語」の概念も三浦つとむさんとソシュールの間には大きな違いがあるように見える。これは、どちらが正しいという問題ではなく、何を解明したいかという目的の違いが、対象に対する視点の違いに結びつき、それが抽象(何を引き出すか?)=捨象(何を捨てるか?)というものに結びついて、それらが概念やイメージの違いに結びついてくるものと思われる。

具体的な言語現象において、直接は伝わらない、言語表現の背後に隠されている人間の認識がどうして他者に伝わるかというメカニズムを解明したいという目的であれば、三浦つとむさんが定義する「言語」の概念がふさわしいと思われる。ソシュールについてはあまり詳しくは知らないのだが、内田樹さんが引用して語る内容は、世界を認識する際に世界のとらえ方に言語がどのように有効に働きかけているかという、言語によって人間の世界が広く深くなっていくメカニズムを考えることが多い。そしてその際には、ソシュール的な思考がふさわしいように僕は感じる。

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by ksyuumei | 2007-01-08 11:11 | 雑文