2007年 01月 01日 ( 2 )

不可知論の間違い

不可知論とは、辞書的には次のように説明される。


「哲学で、経験や現象とその背後にある超経験的なものや本体的なものとを区別し、後者の存在は認めるが認識は不可能とする説。また、後者の存在そのものも不確実とする説。」


これは僕は間違った考えだと思っている。なぜなら、この考え方を肯定すると、科学が仮説に解消されることが正しいという結論が導かれてしまうからだ。科学を検証する実験で確かめることが出来るのは、現実の経験的事実の確認であって、それから抽象された法則が確かめられているのではない、とする考えがこの不可知論に通じる考え方だろう。

科学法則は、言葉の上では全て(任意)の対象について当てはまるので、超経験的なものだと考えられる。これは存在はするかも知れないが、現実存在としての人間には決して捉えることが出来ないとすれば、それはいつまでも仮説にとどまると言うことになるだろう。もし不可知論が正しいとするなら、このような科学を仮説に解消する考えも、それに符合するのであるから正しいと言うことになってしまう。

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by ksyuumei | 2007-01-01 22:22 | 誤謬論

ファシズムの概念

pantheran-onca さんが「2006年12月24日 バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男」というエントリーのコメント欄に書いた「丸山が戦時中の日本を「ファシズム国家」と規定したこと」が間違いだったと言うことは、「南京大虐殺があったか無かったか」という対立によく似ているような感じがする。

「南京大虐殺」という事件については、「大虐殺」という曖昧な言葉をどう定義するかで、あったかなかったかという判断が違ってきてしまう。問題は、この言葉を厳密に定義して、事実がそれに合致するかで判断しなければならないのだが、対立する双方が同意するような定義は見つからないのではないかと思う。宮台真司氏も、どこかで「南京大虐殺はなかった」というような発言をしていたように記憶している。このことの意味は、世間で流通しているようなイメージでの「南京大虐殺」はなかったという意味なのではないかと僕は思っている。

言葉とそれが指し示している概念とは、唯一に決まるわけではない。「南京大虐殺」という言葉が、具体的には何を指しているかは、それを使う人によって違ってくる可能性が出てくる。そして違った前提で結論を引き出している論理は、論理としての正当性を持っているにもかかわらず、言葉の上では全く反対の結論を出すこともある。

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by ksyuumei | 2007-01-01 13:38 | 雑文