2006年 12月 19日 ( 1 )

「論争」に勝つことの意味

仲正昌樹さんは、『ネット時代の反論述』の中で、マトモな「論争」のためにはディベート的なやり方をしなければならないと語っている。これには僕はちょっと違和感を感じている。たぶん、ディベートというものに対するイメージが食い違っているからだろうと思う。

仲正さんが語るディベートというのは、ルールが明確に決まっていて、そのルールに従って正しい裁定がされ、正しい論理にしたがって前提から結論が導かれ、しかも相手よりも説得力があると判断されたときに勝ちが宣言されるというものだ。

相手よりも説得力があるということは、相手の欠点を的確について、相手の論理を崩すと言うことでアピールすることもある。いずれにしてもマトモな論理展開をしている方が勝つというゲームになる。このようなディベートなら、僕も「論争」としては正しいと思う。

しかし、日本で「ディベート」という名で呼ばれているようなやりとりは、必ずしもこのようなイメージを持っていないような気がする。僕が持っているイメージというのは、何らかの結論を言いくるめるような「詭弁術」の訓練をするようなものという感じがしている。正しい論理を使って、自分の主張の正しさを証明するというよりも、いかに相手をくじいて、説得すると言うよりも騙しのテクニックを磨くと言うことが「ディベート」という名で呼ばれているように感じる。

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by ksyuumei | 2006-12-19 10:23 | 論理