2006年 12月 17日 ( 2 )

民主党提案の「日本国教育基本法」案 考察1

マル激のゲストの人選というのは、なかなかすごいと思うものがあるのだが、民主党の参議院議員の鈴木寛氏もなかなかすごい人物だと思った。非常に明快な論理を語る人だし、物事のつながりを深く洞察している人に見えた。教育基本法の問題も、教育の問題として本当に有効なものにするためには、その後の議論・つまり「地方教育行政法」に関わる部分の議論こそが本質的なものだと語っていた。非常に説得力を感じた。

「地方教育行政法」が大事なのは、具体的な地方の教育を変えることが出来るのは、実はこの法律によるところが大きいからだ。鈴木氏は、学校(特に公立学校)の問題を、責任がたらい回しにされる構造に見ていた。学校に関して、いじめなどで何か問題を感じた保護者がいたときに、現在の学校制度の下では、どこにその問題を訴えても有効な対策が打てないと言う。

責任の所在がはっきりせず、責任を取るべき人間に権限が与えられていないのが、現行の「地方教育行政法」だという。具体的な問題を学級担任に訴えても、それが学年主任に回され、学校長の判断を仰ぎ、それでも決定できずに、教育委員会や最後は文部科学省にまで問題が先送りされる場合もある。そして、最後で文部科学省に、これは地方にまかせてあると言われると、問題はたらい回しにされるだけでどこも扱ってくれないということになる。

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-12-17 15:05 | 教育

「論争」なのか「主張」の違いなのか

楽天ブログの「実りのない論争」のmsk222さんのコメントの中で、「風力発電の是非」というものが語られていた。これが「是」であるか「非」であるかというのは、一見「論争」のように見える。しかし、これは対立した主張が語られているだけなのではないかと僕には見える。

「論争」と対立した「主張」の違いがどこにあると僕は見ているのか。それは、「論争」の場合は、あくまでも「論」の戦いであり、どちらの「論」が正しいかを巡る対話であるという見方をしている。そして、「論」というのを論理の流れ、すなわち推論の方に僕は見ている。

前提そのものの正しさ、あるいは結論そのものの正しさは、論理の流れである推論には直接の関わりはない。推論では、その前提を一応論理の出発点として認めれば、次の命題がそこから引き出されるかどうかという点にのみ注目する。もし、他の前提を必要とするような推論だったら、必要な前提を追加して、その前提のもとでなら結論が引き出せるかどうかを見るのが「論」の働きだと思っている。そして、そこに間違いがないかを争うことが「論争」であるというふうに僕は見ている。

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-12-17 11:14 | 論理