2006年 12月 16日 ( 2 )

マトモな「論争」の落とし穴

仲正昌樹さんの『ネット時代の反論述』では、「論争」を次の3つに分けて論じている。

1 見せかけの論争
 (相手に語りかけるのではなく、ひたすら味方にだけ語りかけ、味方が自分を正しいと思い、相手を間違っていると思えば成功)
2 「相手」をちゃんと見てする論争
 (論理に従って、自分の正しさを証明する論争。これには様々な準備が必要)
3 とにかく相手を潰すための論争
 (自分がむかついた分以上に相手に不快感を与えて、相手がへこむような結果のみを求める。とにかく相手にストレスを与えれば成功)

この中の、マトモに見える「論争」の2について考えてみようと思う。これは、マトモに見える2の「論争」だったら「論争」として実りがあるのではないかと思うのだが、結果的に実りになることは極めて少ないと言うことが見出せると思うからだ。むしろ、この2はよほど注意していないとすぐに1や3の方向に流れてしまう。仲正さんは、1から順番に説明をしているが、2から先に考えた方が、その流れやすさがよく分かるのではないかと思う。

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by ksyuumei | 2006-12-16 17:40 | 論理

教育基本法「改正」法案成立の社会的背景

教育基本法「改正」案が、自公の賛成多数で可決された。「改正」と括弧付きで表現しているのは、この法案が辞書的な意味で本当に「改正」になっていると思えないので僕は括弧付きで表現している。宮台氏を始めとする多くの知識人が、この法案ではいま教育が抱えている問題は何一つ解決しないと語っている。僕もその評価は正しいと思っている。

この「改正」が、教育を良くするどころか悪くすると感じている人は、この「改正」案の成立に怒りを覚えている人もいる。僕は、怒りという感情よりも違う種類の思いが浮かんでいる。それは、ある程度マトモにものを考えることの出来る人であれば、そこに含まれている欠陥がよく分かる「改正」案であるのに、それがなぜ賛成多数で可決されてしまうのかという、ある意味では論理的な理解が難しい謎を感じるところに関心を抱く。

論理的に考えれば、欠陥のある「改正」案は否決されるのが正しいように思える。それがなぜ否決されずに可決されてしまうのか。それを合理的に理解するにはどうしたらいいのかと言うことが気にかかる。個人の判断と社会の判断が食い違っている原因はどこにあるのか。

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by ksyuumei | 2006-12-16 10:15 | 教育