2006年 12月 11日 ( 2 )

「仮言命題」には限界があるか?

瀬戸智子さんの「仮言命題の限界」というエントリーに関する最後の雑感として論理や仮言命題の「限界」あるいは「不完全性」について考えてみようと思う。結論から先に行ってしまうと、「仮言命題」というものを、命題論理・あるいは述語論理の範囲で考えるのならば、その論理世界の中では限界もないし完全なものであると僕は考えている。

限界が生じるのは、論理世界から外に一歩を踏み出して、論理を適用する世界を広げたときに、適用に限界が出てくると言うことが起こる。つまり、適用出来ない対象に「仮言命題」で表現されている論理を適用してしまったという誤謬が生じる可能性があるだろう。

もう一つの不完全性というのは、論理を適用する世界の無限性に関わって、対象の属性の無限性が把握出来ない側面において、論理だけでは結論が出せないような事柄が発見出来て、その部分では真とも偽とも結論出来ないと言う「不完全性」が発見出来ると思う。

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by ksyuumei | 2006-12-11 10:37 | 論理

「因果関係」は客観的属性ではなく主観的判断である

瀬戸智子さんの「仮言命題の限界」というエントリーに書かれている「因果関係」というのも気になるものの一つだ。瀬戸さんは因果関係については詳しく語ってはいないが、これは仮言命題と深く関わっていると僕は理解している。

あまりはっきりとは覚えていないのだが、ヒュームは因果関係の存在を否定したと記憶している。これは、それを実体として存在すると考えるのなら、否定されるべきだろうと僕も思う。つまり、因果関係というものを物質の属性として捉えようとすると、そんなものは存在しないと言わないわけにはいかないだろうと思う。関係というのは実体ではない。あくまでも人間の認識の中に存在する、もののとらえ方の方を指す。だから、それが物質の客観的なあり方だと思ったら間違えるだろうと思う。

その意味で瀬戸さんが語る「原因が必然的に結果を引き起こすという関係は存在しない」という言い方は正しい。しかし、ある現象に関して仮言命題が成立する、つまり

  A →(ならば) B

という命題が成立すると判断したら、このときは認識の中に「Aが成立したときは必ずBが起こる」という判断が存在する。この「必ず起こる」と言うことを「必然性」の定義とするなら、AとBの間には「必然性」が存在すると認識していることになる。そして、この「必然性」を、AとBとの「因果関係」だと定義すれば、この意味で「因果関係」の認識が存在すると言うことが出来る。

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by ksyuumei | 2006-12-11 08:47 | 論理