2006年 12月 09日 ( 3 )

方法論批判の危うさ

『バックラッシュ』(双風舎)の中の斉藤環さんの「バックラッシュの精神分析」という言説における内田樹批判の部分には「方法論批判」というものが含まれている。この方法論批判というのはある種の使いやすさがあるが、方法論というのは全ての言説に適用出来るという面があるので、敵を切った刃が自らをも斬りつけるという危うさを持っている。

斉藤さんは、内田さんに対する批判の前に八木秀次批判も語っているが、これは八木秀次氏の言い方に対する「方法論批判」ではなく、語ったことという客観対象に対する批判になっている。その内容は次のように語られている。


「たとえば同書の共著者である八木秀次がひところ女帝容認論批判に当たって、男系でなければ神武天皇以来の「Y染色体」の系統が絶えてしまうと言う、ほとんど失笑ものの疑似科学的論法を展開した経緯を見れば十分だろう。」


ここで指摘しているのは「Y染色体」というものに関する知識に対してで、その間違いを批判している。内容を十分確かめることが出来ないが、この指摘はおそらく科学的な知識の間違いとして正しいのだろうと思う。調べればどちらが正しいかは決定出来るものだと思う。そして、「バックラッシュ」言説のほとんどは、このように間違いの指摘が比較的簡単に出来るものが多いのだろうと思う。

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by ksyuumei | 2006-12-09 23:36 | 論理

斉藤さんの誤読と内田さんの誤読(「フェミニズム」に対する誤解を誤読と解釈すれば)

『バックラッシュ』(双風舎)という本の中の齋藤環さんの「バックラッシュの精神分析」という文章に書かれた内田樹批判を考えてみようと思う。これは「誤読」というキーワードで解釈することが妥当なように僕には感じる。

斉藤さんは、内田さんが「フェミニズム」というものを誤読している(誤解、つまり全然「フェミニズム」でないものを「フェミニズム」だと思って、その間違ったイメージに対して批判している)と受け取っているように感じる。それは、内田さんの「私がフェミニズムを嫌いな訳」という文章から次のような判断を引き出していることからそう感じる。


「一読すれば分かる通り、この一文において内田が批判するのは、正確にはフェミニズムでもマルクス主義でもない。ようは、自らの主張の正しさに対して一切の懐疑を持たない「正義の人」が批判されているのだ。しかし、そうであるなら何も「正義の人」の代表に、フェミニストやマルキストを持ち出す必然性はない。
 内田がほぼ田嶋陽子一人をフェミニスト代表であるかのごとく例示しつつ行うフェミニズム叩きに対しては、今さら無知とか下品とか言っても始まらない。これほどあからさまな「為にする議論」を、今なお自らの公式ウェブサイトで公開し続けるという身振りは、議論や対話を最初から放棄するためになされているとしか思われない。それでなくとも内田は随所で、自分に対する批判には一切回答しないと公言している。」

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by ksyuumei | 2006-12-09 11:25 | 誤謬論

問題意識と読書

僕はちょっと前に『バックラッシュ』(双風舎)という本を買ったのだが、この中に書かれている多くの言説の中で関心を持っていたのは宮台真司氏のインタビューを綴った「ねじれた社会の現状と目指すべき第三の道-バックラッシュとどう向き合えばいいのか-」というものだけだった。だから宮台氏のこの文章しか読まなかった。そして他の文章にはほとんど関心を引かれなかった。

これは、宮台氏の文章以外が、何か価値が低いとか、僕が反対の見解を持っていると言うことではない。そこに書かれていることは大部分が正しいのだと思う。専門的なことが書かれているので理解することが難しいこともたくさんあるが、それが大部分正しいであろうと言うことは伝わってくる。だが、その正しいだろう文章を、苦労してでも理解したいという意欲がわいてこないのを感じる。

宮台氏が語ることは、ここに含まれた文章の中でもピカイチに難しいものだろうと思われるのに、この文章だけは何度読み返してでもいいから少しでも深く理解したいという熱意がわいてくるのを感じる。この差は、たぶん問題意識の違いから生じるものではないかと僕は感じる。

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by ksyuumei | 2006-12-09 00:13 | 読書