2006年 10月 26日 ( 1 )

核兵器の是非の議論

ひよこさんから「「妨害」という判断は正しいか?」のコメント欄で核兵器の是非の議論について呼びかけられた。これは、極めて論理的な対象ではないかということで呼びかけたようだ。確かに、これが議論の形をなすなら、それは論理的なものになるだろう。

核兵器の存在というのは、すでにそれを持っている国がいくつかあると言うことから確認出来るが、その使用はもしかしたら未来永劫に渡ってないかも知れない。核兵器というのは、持っていることにのみ意味があるので、決して使用しない最終兵器というものかも知れない。核兵器の使用はいつでも可能性の問題であり、現実になっていない未来の想像というものになるので、これは論理を駆使して予想するしかない問題になるだろう。

だがこの議論は非常に難しい。「是非」というものが、道徳的な「善悪」と結びついた「良いか悪いか」という判断になってしまえば、その結論は信念を語るだけのものになってしまう。どのような信念を持とうと、実際の行動に結びつかなければそれは自由なのであるから、信念の問題になれば議論の余地はなくなる。信念の表明をして終わりということだ。それに賛成出来ないときは、見解の相違と言うことで受け止めなければならない。

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-10-26 09:51 | 論理