2006年 10月 11日 ( 1 )

自由が保障されている権利の根拠を考える

民法改正によって、「選択的夫婦別姓」という行為を法的にも正当な行為にしようという方向は、「姓(=法的な氏)を自由に選択する」という行為が、自由の行使として正当性を持っていると考えられるならば、そこには反対する理由は何もなくなる。自由として認められるべきであるなら、どのような技術上の困難があろうとも、それをクリアする方法を考え出して自由を保障しなければならない。それは自由の保障の方が重いものになるだろう。

これが基本的人権のようにほとんど制限のないものではなく、その自由の行使が何らかの公共の福祉に触れる恐れがある自由なら、その不都合をもたらさない範囲での制限を設けて自由を認めるか、あるいは、どうしても不都合が解消出来ないのであれば自由は認められないと結論するしかない。いずれにしても自由の主張の根拠が非常に重要なものになる。

姓を選択することが自由なのかどうかというのは、かなりの異論があるようなのでいきなりこのことを考えるのではなく、自由に対してあまり異論がないと思われる基本的人権として認められている自由のことをまず考えてみたい。基本的人権において認められている自由が、何故に自由としての正当性を持っているかを考えることで、そのアナロジー(類推)で姓の選択の自由も考えてみたいと思う。本質的に同じものだと考えられるなら、姓の選択は自由であるべきだと思うからである。

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by ksyuumei | 2006-10-11 10:21 | 論理