2006年 10月 05日 ( 1 )

高市氏の行為の意味を考える

高市氏の行為の意味というものを考えてみようと思う。それは、現象として見た場合には、誰もが同じ記述をするような客観的な側面を観察することが出来る。宮台氏が定義した「行動」という側面で言えば、次のような記述は誰も反対しない事実と言うことになるだろう。

1 高市氏は自民党の山本拓議員と結婚した。
2 高市氏は戸籍上は山本姓になった。
3 戸籍上は山本姓になったが、世間では高市姓で通用している。
4 高市氏は、夫婦で違う姓を名乗っている。

この4つの行動の面では誰もが同じ判断をするにもかかわらず、これを「行為」として受け取った場合は、

・高市氏は「夫婦別姓」である。
・高市氏は「夫婦別姓」でない。

という二つの対立する判断が出てきてしまう。これは「行為」の意味が違うのだと考えられる。しかも肯定判断と否定判断という、形式論理の中では両立し得ない二つの判断が出てきてしまう。高市氏の行為の意味を読みとるときに、形式論理的に読みとるのが妥当だと考えるなら、これはどちらかを捨てて一方を正しいとしなければならない。

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by ksyuumei | 2006-10-05 09:40 | 論理