2006年 09月 30日 ( 1 )

問題意識のずれを考える

シカゴ・ブルースさんの「ソシュール的な「語の意義」と「語の価値」」というエントリーを読むと、そこにかなりの問題意識の違いを感じる。これは、違いを感じるからと言って、シカゴ・ブルースさんが書いていることに批判的であると言うことではない。シカゴ・ブルースさんが主張することについては大筋で同意する。つまり、問題意識が重なるところでは異論はないのだ。

辞書的な意味で、ある「語義」について、その概念と表現形式との結びつき全体を「語義」と考えれば、フランス語の mouton と英語の sheep とは、概念が違うのだから「語義」が違うと判断出来る。表現として同じ意味、つまりその表現からたどれる関係性を同じにするためには、「語義」が同じ言葉で表現しなければならない。生きている羊を意味する mouton ならば sheep の語を充てて、食肉としての羊を意味する mouton の場合には mutton を充てるのが正しいだろう。この場合には、語義の違いに特に注目する必要はない。語義の違いに対する問題意識は鮮明には現れてこない。

しかし、これが内田さんが語る「語義がかぶっている」と言うことに注目すると、そこに一つの問題意識が生まれてくるのだ。それは、「語義」が同じかどうかに注目しているのではないのだ。

More
[PR]
by ksyuumei | 2006-09-30 10:57 | 言語