2006年 09月 14日 ( 1 )

反ユダヤ主義者の善意

内田樹さんが『私家版・ユダヤ文化論』で語っていた、反ユダヤ主義者の善意というのは考えさせられることの多い大切な事柄のように見える。その善意は、内田さんが指摘するように、私利私欲を離れたある種の敬意を感じるようなものになっている。この問題の難しさは、だからといって、善意があるから彼らの主張を受け入れるという論理にはならない点だ。

主張を受け入れるには、あくまでもその論理に正しさがなければならない。しかし、多くの人はしばしば論理の正しさよりも、それを主張する人の善意という倫理的な正しさの方を重く見る。論理的に正しい冷たい感情の持ち主より、たとえ論理的には間違っていようとも熱い熱情を持った人の方が大衆的な支持を得る。ひどいときには、正しい論理を提出する人間が、その冷静さゆえに反感を抱かれることもある。

バックラッシュ言説の中心にいるような人物は、現状認識において事実の取り違いをしていたり、論理展開において結果ありきというような強引な論理があったりすることが多い。それは、第三者的に冷静に眺めればよく見えてくることだ。しかしそれでもなお、それらの人々が多くの支持を集めているとしたら、その原因がどこにあるかを突き止めるのは価値があることだろう。

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by ksyuumei | 2006-09-14 10:01 | 雑文