2006年 09月 09日 ( 1 )

発想法としての弁証法と真理の判断としての形式論理学

「小泉純一郎氏は日本国総理大臣である」という命題は正しい(真)だろうか。何をそんな当たり前のことを聞くのか、といぶかしく思う人がいるかもしれないが、この命題が明らかに正しい(真)と思う人は、その正しさはいつまでも続くだろうか、という問いに直して、この問題を考えてもらいたいと思う。

正しい(真)命題がいつまでも正しい(真)かどうかで、実はそれは形式論理の範囲で考えているのか、弁証法論理の範囲で考えているのかが決まってくる。形式論理の範囲で正しい(真)と認めた命題は、それはいつまでも正しい(真)命題として存在させなければならない。正しい(真)命題が、どこかで間違った(偽)命題になってはいけないのである。それが形式論理的思考だ。

それが弁証法論理では、正しい(真)命題が、いつの間にか間違った(偽)命題になることがある。弁証法論理では、常に対立を背負った矛盾が問題になる。だからどの命題においても、正しい(真)と同時に間違っている(偽)と考えなければならなくなる。それはどうしてだろう。

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by ksyuumei | 2006-09-09 12:56 | 論理