2006年 09月 07日 ( 1 )

批判の妥当性

「話」が通じない原因として、相手の言っていることを理解せずに、自分の的はずれな解釈で相手の言説を判断すると言うことがある。このとき、相手の的はずれを指摘する言説の方は、それが妥当性を持っていることをどうやって証明したらいいだろうか。場合によっては、相手の的はずれを指摘する言説の方が実は的はずれだったということがあるかも知れない。

論理の正しさをどう評価するかという問題は、単にディベート的な言い争いで勝ったか負けたかという現象的な理解ではなく、客観的に、マトモに論理が扱える人間だったら誰が見てもそう判断出来るというものでなければならない。そうでないと、相手が黙ってしまえば、言い争いには勝ったという形になるので、それで論理的にも論破出来たのだと思ってしまうかも知れない。だが、それは単に声の大きさと圧力で相手を黙らせただけなのかも知れない。どこに論理の正しさがあるかを、客観的に指摘出来るだろうか。

仲正昌樹さんは『なぜ「話」は通じないのか』という本で、「説得力のある「物語」を組み立てるための基礎教養・訓練が足りない」ことの問題を指摘している。「基礎教養・訓練」を欠いたまま物語を作り上げれば、その物語はどこかでつじつまが合わなくなり、主張が的はずれになると言うことだ。では、「基礎教養・訓練」が足りないという指摘は客観的に出来ることなのか。

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by ksyuumei | 2006-09-07 10:02 | 雑文