2006年 09月 01日 ( 1 )

起源を考察する際のパラドックス性

内田樹さんは『私家版・ユダヤ文化論』で、ユダヤ人とは誰のことかということを考察した際、それは誰かをユダヤ人だと思いたい人の主観に判断の基準があるということを論じた。おまえがユダヤ人だと言うことは、俺がそう思うからだ、ということで証明される。これは全く不当なことだ。なぜなら、相手をユダヤ人だと思うことは、それを根拠に差別する意図があるからだ。合理的でないことを差別の根拠にするのだから、これは不当な差別につながる。

この考え方の先駆者として内田さんはサルトルを挙げる。サルトルは次のように語っているようだ。


「ユダヤ人とは他の人々が『ユダヤ人』だと思っている人間のことである。この単純な真理から出発しなければならない。その点で反ユダヤ主義者に反対して、『ユダヤ人を作り出したのは反ユダヤ主義者である』と主張する民主主義者の言い分は正しいのである。」


内田さんは、この解釈を正しいものと受け取っているが、この解釈が正しいとしても社会からはユダヤ人に対する差別がなくならないという現実がある。それはどうしてだろうか。

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by ksyuumei | 2006-09-01 10:14 | 論理